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2023.03.15 | コラム&社員インタビュー《55周年》
【55周年記念コラム】Series1(最終回)
お陰様でカドリールニシダは今年で創立55周年を迎えました
この節目に当たり、現在まで長年カドリールと歩んできてくれたパタンナーやデザイナーに感謝の気持ちを込めて、バトン形式でカドリールでの思い出や今後への期待を語ってもらうコラムを掲載いたします。
それぞれのカドリールでの思い出とともに、当社の歩みを感じ取っていただければ幸いです。
勤続36年の営業企画室室長 蛭川伸子氏にカドリールとの歩みを4回にわたり語ってもらってきましたが、ついに最終回。弊社のOEM企業としての歩みとこれからについて語っていただきました。
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・ ・ ・- Profile 蛭川 伸子(勤続36年)
1985年入社、デザイナーとしてデザイン室勤務。
1990年よりデザイナー兼マーチャンダイザーとして、市場分析や得意先に向けた企画提案にも携わるようになる。その後、中国での事業展開における商品企画から販売員指導まで幅広く担当。
2004年からツインクロス商品の販売でQVCジャパンTVショッピングに出演し、カドリールの顔として商品のこだわりを伝え続ける。
現在は営業企画室長として、業界全般のリサーチや、マーケティング視点を持ったMD業務を担い、新規得意先開拓や新たな企画開発提案に取り組んでいる。
§5 今後も提案力のあるOEM企業であり続けたい
OEMの継続
創業当時から私たちはOEMに徹し、業界の中では「黒子」のような存在となっていました。しかし一般的に知られているOEMとは少し違うかもしれません。生産のみを請け負うのではなく、ご依頼を受ける際に意見交換させていただいて、まず意図されるコンセプトを把握し、お客様のターゲットに合う商品設計をいちから考え開発にあたってきました。そのために、個々のお客様向けの唯一無二のパターン作製に最も力を注いでいます。実のところパターンの違いは、商品をぱっと見ただけでは分かりにくいものかもしれないですが、私たちが商品に込められる最大のもの。他との差別化がはかれる「商品の根本・機能のベース」それがパターン、設計だからです。その考えをブレずに貫いて55年余り…今日までOEMを継続することができました。おかげ様で現在も多くのお客様からのご依頼をいただき、深く開発に携わりながら価値の高い商品を生みだしています。
海外ブランドとのかかわり
90年代に入るとすぐに生産拠点を海外に求め、まず中国の青島に、続いてベトナのホーチミンに自社工場を設立。これを機に、高額品のみでなくGMSや通販、拡大し始めたインナーSPAに向け、価格帯の幅を広げた活動を開始します。
続いて中国の拠点において「Pierre Cardin」のライセンスインナーSPAを展開。現会長とCardin氏とのご縁から実現したビジネスでした。私自身、中国マーケットのリサーチからコンセプトメイク、商品企画、販売プランづくりなど、トータルにMDとして活動し、販売員教育や売り場のVMD指導なども行いました。
写真は当時の中国でのPierre Cardin商品の売り場と商品の撮影風景です。
さらに、イタリアの高級インナー『ラ・ぺルラ』の姉妹ブランドを、日本向けにリプロダクションする依頼を受けました。今井チーフ(現デザイン企画部顧問)と私はイタリアボローニャの本社を訪問、デザイン、パターンの開発現場や製造ラインを見学、繊細な縫製技術やシルクのブラにレースを配する職人技に触れ、大変感銘を受けました。それはのちに本体『ラ・ぺルラ』ブランドのOEM受注へと繋がっていきました。
OEMのひろがり
2000年を過ぎると、さまざまな業種の企業から取引依頼を受けましたが、中でもキッドブルーとの出会いは鮮明に記憶しています。自社で開発されたブラジャーのサイズを増やしたいとご相談にみえたのです。私の大好きなブランドだったので、「ご一緒にお仕事が出来るのか!」と嬉しい気持ちになりました。後に当社の傘下に迎え業績は大きく拡大。現在も変わらぬ魅力で3世代のご家族からも愛される日本を代表するブランドの一つです。
2010年あたりから、機能派通販やアウターSPAからの依頼が増えていきます。また、メタボ対策や健康寿命といったキーワードとともに、軽運動やスポーツが国民的関心事になり、スポーツブラの開発依頼が増えました。また、これまで培ったパターン技術から機能性アウターの開発に力を入れて、「ウォーキングパンツ」を開発しました。腰回りをサポートする設計で「特許」を取得したもので、今なお人気で10年以上売れ続けるロングセラー商品です。(下図参照)
「快適性」を研究し続けてきた設計技術は、インナー、アウターを問いません。まだまだこの先への広がりを感じています。
当時私の描いたスポーツブラやスポーツボトムなどの設計図の一部
これまで見てきた下着の変遷とこれから
アパレル産業が急成長した2000年までは、誰もがおしゃれを楽しみ流行のシルエットを身につけることがファッションでした。メリハリをつくる体型補整下着や、華やかでセクシーなレースのランジェリーを楽しんだ時代です。
その後バブル崩壊~ミレニアムを経て、人々の志向は大きく変化。生き方やライフスタイル自体がファッションとなります。肌ざわりや着心地を優先し、布帛からニット、ストレッチ素材が主流になりました。メリハリシルエットが影を潜めラインの響かない下着「シェイプウエア」が登場した時代です。また、つるんと丸いモールドカップのシンプルなブラが市場の大部分を占めるようになりました。
近年、コロナ禍を経て~ 地球環境の悪化や天然資源の枯渇がクローズアップ、地球規模でSDGsへ取り組み始めています。一方で急速なSNSの拡大によって情報が瞬時に世界を駆けめぐり、溢れる情報の取捨選択が難しい時代です。ファッションは自分のからだや心に向き合い、無理せず自然体がキーワード。からだに触れるリアルな素材の触感に癒しや心地よさを求めています。
生活の基本は「衣・食・住」とあるように、人にとって衣類は大切なもののひとつ、自己表現の手段でもあります。その衣生活のベースにあるのが肌着やファンデーションの「直接肌に触れるもの」です。未来に向けて、その大切な「肌に触れるもの」にどんな要素が求められるのか…
これからもカドリールにしかできない提案を続け、進んでいきたいと思います。
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・ ・ ・55周年記念コラムを書かせていただき、長くカドリールで過ごした時間を振り返りました。多くの方との出会いによってここまでこれたと感じています。
そして、つくづくものづくりが大好きだということを再認識させていただきました!皆さまに心より感謝申し上げます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次は、勤続20年のパタンナー、久保田浩之氏にバトンをつなぎます。
【第1回 カドリールニシダとの出会い】はこちら
【第2回 繊細な手作業から始まったデザイン室勤務】はこちら
【第3回 ツインクロス誕生】はこちら
【第4回 ツインクロス拡大】はこちら